井賀孝の写真の話【第8話/全12話】
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『ムンジアル』
「ムンジアル」という言葉をご存じだろうか?
国際ブラジリアン柔術連盟(IBJJF)が主催するブラジリアン柔術の世界選手権=世界柔術のことである。世界柔術がブラジルで行われていた頃は皆そう呼んでいた。ポルトガル語で「mundials」と書く。
人口約670万人、サンパウロに次ぐブラジル第2の都市リオ・デ・ジャネイロでもっとも大衆的なビーチ、コパカバーナあたりを歩いていると、時折「ジュウジュツ?」と知らないひとから声をかけられる。バーに入って、さて安くてアルコール度数が高いことから労働者の酒と呼ばれているカイピリーニャでも注文するかとバーテンダーを呼ぶと「ジュウジュツ?」とまた声をかけられる。みな私の潰れた餃子耳を見て声をかけてくるのだ。そんな街リオ・デ・ジャネイロ。おそらく今もそうだろう。ムンジアル前は、ブラジル各地は言うに及ばず、世界中から柔術家が訪れる。ブラジル北部に位置する大アマゾン、その森はこの惑星にとって欠くことはできない。その地で最も栄えている街マナウス、人口約200万人ここは柔術も強い。ビビアーノ・フェルナンデス、フレジソン・パイシャオン、ホナウド・ジャカレイ、サウロ&シャンジのヒベイロ兄弟など多くの強豪柔術家を輩出している。スポンサーが付いているような有力選手であれば、飛行機でリオを訪れることもできるが、無名の青帯や紫帯の若者はお金がない。そんな彼らは長距離バスに揺られること2泊三日、リオを目指す。そこまでしても訪れるべき街リオ・デ・ジャネイロ。ここで勝って名を上げるため、人生を変えるために。夢の舞台ムンジアル。すべてがある。
2005年7月、私は撮影の仕事で一ヶ月間ブラジルにいた。サンパウロ、ブラジリア、サンルイス、バヘリーニャス、サルバドールと各地を訪れ、他のスタッフが帰国しても私ひとり残り、最後に落ち着いたのがリオ・デ・ジャネイロ、いつもの街だ。
目的はムンジアルに出場するためと撮影。青帯初めての試合はムンジアルだった。結果は手足の長いブラジル人と対戦して、パスされマウントを取られての完敗だった。まあ当たり前だ。一ヶ月間撮影と酒でまったく練習していなかったのだから。
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