長谷川亮の絵と格闘技と私【第11話/全12話】
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第6代修斗世界フェザー級王者・田村彰敏
田村彰敏さんを初めて取材したのは2004年夏、ミャンマーで行われたラウェイの試合で、外国人として史上初の歴史的勝利を上げた後のことです。当時「格闘結社田中塾」所属で、主宰の田中健一先生がおっかなくビクビクしながら取材に行ったのを覚えています。
その後も修斗王者となるなど活躍されましたが、印象的だったのはバンタム級に階級を落とし米WECに参戦していた時の取材。細かに体重の推移を書き留め、体の変化も写真に収め用意してくれていました。こちらが頼んだ訳でもなかったのに、です。やはりチャンピオンになる人は違うなと思ったものでした。
取材機会が増えると雑談も増え、より人となりも見えてくるものです。田村流の感性、ものの見方が面白いと思ったので、2016年スタートのお絵かき展「描けんのか!」に誘ってみました(本当はブログで見ていた奥さんが上手いのではと見込んだものの、田村さん自身が絵を描いていた、という次第)。
翌2017年の試合で急性硬膜下血腫となり現役を引退した田村さんですが、リハビリにも絵を活用、今では画文集を出したり、千葉デザイン展で受賞したりと“絵描き”としてのキャリアも築いています。
現役引退後に画業再スタート
「絵は小学4、5年生ぐらいでやっていて、母親が絵の先生とPTAか何かで一緒で、紹介してもらって行ってました。女の子とか年下が多かったんですけど楽しかったです」
絵の先生とはその後も現在まで交流があり、後に随分経ってから再開することからも、描くことは田村少年に楽しい行為として残っていた様子。だが、現役中は理学療法士の仕事と兼務しており、引退した後で画業に力が入っていくこととなる。
「誕生日に似顔絵とかを描いてくれていたので、“絵上手いんだな”“描ける人なんだな”と思ってました」とは奥さんの美優希さん。
田村さんの引退式は2018年3月の修斗で行われましたが、その年の秋から休止していた「花くまイラストクラブ」が再開され、田村さんも誘ってまた通うことにしました。
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