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【Special】加古拓渡のアメリカ渡航&滞在記③【世界柔術2021】

【Special】加古拓渡のアメリカ渡航&滞在記①【世界柔術2021】こちら
【Special】加古拓渡のアメリカ渡航&滞在記②【世界柔術2021】こちら

常在戦場番外編その3、今回は大会後〜帰国までの様子をお届けします。

例年であれば、日曜日に大会が終了して月曜日の午前〜昼の便に乗って帰国するのですが、今回は帰国に必要な陰性証明書取得のために、大会後も滞在しなければいけませんでした。
アメリカ→日本帰国の際は、出国72時間以内のPCR検査の陰性証明書が必要です。
行きの日本→アメリカは出発の数日前に、検査が出国1日以内に規定が変更になり予定変更を余儀なくされましたが、帰りは規定変更はなかったです。
前々回の滞在記でお伝えした通り、月曜日に検査を受ける病院近くのLAに移動、検査して、火曜日は予備日、水曜日の便で帰国というスケジュールです。

アナハイムの会場の近郊のホテルを月曜日の11時ごろチェックアウトし、隣のマックでコーヒー飲んで時間潰したあと、LAのホテルに移動しました。
車で30〜40分ほど、13時ごろにチェックインしました。
LAは危険な地区も多いようなので、下調べしてから宿泊する地区を決めました。
ホテルはカルヴァーシティという地区で、ホテルの隣にはコンビニがあったり、徒歩圏内にコインランドリーやスーパーもあって便利でした。
検査を受けるNippon Medical Clinicという病院へはホテルから車で10分ほどです。

10月に最初に問い合わせた時は、通常検査日の翌日に陰性証発行と言われていましたが、検査の機械を最新の物に入れ替えてすぐに検査結果が出るようになったとのことで、実際にはすぐに陰性証を発行していただけました。
病院はビルの一室にある街の小さなクリニックという感じで、行くと日本人の先生がお二人でやられていました。
ちょうど入れ替わりで陰性証を受け取っていた日本人の方も居て、先生に伺うと、ここ最近は同じような日本人の希望者が多くて大忙しとのこと。
予約して1組ずつ検査していたようで、検査〜陰性証明書発行で30分ほどで終わりました。
当初は翌日も証明書受け取りに病院に行かなければいけない予定だったので、即発行はとても助かりました。
検査と証明書発行で180ドルでした。
ホテルの周りはちょっとした日本人街になっているようで、日本のお店がいくつもありました。
日本人の先生とお話ししたりジャパニーズスタイルのスーパーに入ったりして、久々に日本に触れて、心が癒されました。笑

この日の夜は、ホテルから車で20分ほどのCobrinha BJJ に行き、ビジターで練習に参加してきました。
70分間のアドバンスドクラス、ルースター級の名選手だったファビオ・パッソス先生の指導で、パスガードを2種類じっくりドリルしたあと、上下に別れてのシチュエーションスパーを30分ほど、長めのクールダウンストレッチ。フリースパーはありませんでした。
前日にメールで連絡しておいて、1 dayのビジター料金は60ドルでした。
他にも、数日参加できるプランもあるようでした。

翌日の火曜日は、終日フリーになったので、ホテル周りの散策や買い物をしつつ、昼と夜に2回別々の道場に行きました。
月曜日の夕方、陰性証を受け取ったあとにメールでアポイントを取りました。
昼はRodrigo Freitas BJJ、ライト級の名選手ホドリゴ・フレイタス先生の道場へ。
正午を跨いでの90分間のオールベルトクラスに参加、ビジター料は35ドルと比較的リーズナブル。
長めのウォームアップ、ダブルレッグの打ち込み2種(汗…)、バックテイクのテクニック2種、6分のフリースパーを6〜7本。
ホドリゴ先生も自ら混じってスパーに参加されていて、2本胸を貸していただけました。
クラス前、私「もう35歳だけど、WORLDに挑戦してきました」、先生「俺は38歳だ。良い経験だね」と話していて、あとから知ったのですが、ホドリゴ先生は今年(2021)もWORLDに出られていたのですね。
2019年は3位に入賞されているし、リスペクトです。
ペアを組んでくれた紫帯の青年がお婆ちゃんが沖縄の人?だかで、めちゃくちゃ良い人でした。日本名はマサト君。

夜はMeraki BJJという道場へ。
プロフェッサーのジェイソン・ハント先生は、ATOSのハモン・レモスの黒帯だそうです。
広くて綺麗で、白とグレーを基調としたとてもお洒落な道場でした。
事前にメールした時、白道着着用を指定されました。
この日はたまたまWORLD終わりで女子のトップ選手であるマーゴット選手ら数名が来られていて、ウォームアップのあとはマーゴット選手の特別レッスンでした。
ラペルを使ったデラヒーバからのXガードの展開を3種類ほど。
フリースパーは5分か6分で7〜8本。
ジェイソン先生ともスパーさせていただき、ハーフガードの外し方がめちゃくちゃ美しかったです。
ビジター料は50ドルでした。

帰国に必要な検査と陰性証明書取得のために例年よりも2泊滞在が長くなったおかげで、3つの道場の練習に参加したりと、大会が終わってからも一人でいろんなところに行けました。
当初は、「余分に滞在を延ばさなきゃ行けなくてお金もかかるし嫌だな…」と思っていましたが、結果的にめちゃくちゃ楽しめました。
確かにお金はかなり使うことになりましたが(特にUberやLyftでの毎回の移動費)、なかなか出来ない経験がたくさん出来たので良しとします!

翌日の水曜日は11時ごろのフライトで帰国です。
ホテルからLAXまでは車で20分もかからないぐらいだったので楽チンです。
特に問題なく搭乗手続き、出発。
LAX→成田のJALで、帰りは行きより時間がかかって、11時間ほどのフライトになります。

ほぼ定刻通りに成田に到着。
ここからが長かった…

16:40頃、到着。飛行機降りて空港入ったすぐの所で待機。
18:20頃、進捗やアナウンスなし。引き続き待機。
18:30過ぎ、ようやく呼ばれて、順番に検査。
検査後、アプリの設定確認や使用法、今後の説明や誓約書の確認など、各ブースを進みながら案内を受ける。
19:15頃、最終待機場所と思われる場所に到着。番号で呼ばれるまで待機。
3日間のホテル隔離の場所は何もアナウンスなし。
事前に3〜4時間は待たされるし、隔離場所も直前まで分からないという情報は耳に入っていたので、平常心でひたすら待つ。
20:00頃、アナウンスなし、待機。
21:00頃、アナウンスなし、引き続き待機。
22:00頃、同上。最早一生呼ばれないものだと腹を括る…
23:00過ぎ、救援物資(パンとソイジョイ)が配給される。
23:20頃、ようやく呼ばれる。
24:00頃、機内預け荷物をピックアップしたりしつつ、ようやく空港から出る。隔離先のホテル行きのバス待ちで日を跨ぐ。
0:20頃、行き先の分からないバスに乗車。
0:30頃、行き先も告げぬまま出発。笑
成田到着から約8時間経過。
(さすがに疲労困憊で、バス内ではすぐ寝てしまいました。)
1:20頃、都内ホテルに到着。
1:30頃、ここにきてまた一人ずつ説明が始まる…(もう眠たいっす…)
2:00頃、ようやく部屋に入室。LAのホテルをチェックアウトしてから約24時間、日本到着から約9時間半。。

というわけで、、日本に到着して空港で待たされていたのが、今回の旅で一番シンドかったです。。笑
かなりメンタルが鍛えられました。
どうしてこんなに時間がかかったのかはいまいち不明ですが、どうやら隔離場所となるホテル等の施設の割り振りに時間がかかっていたようです。
もっと早く呼ばれているブロックもあれば、まだ待たされているブロックもありました。
私の3日間の隔離場所は都内のアパホテル。
閉館にして隔離施設としてのみ使用しているようです。
3日間は文字通りの缶詰状態で、予約制でコインランドリーが使えましたが、コインランドリーに行く時も部屋で呼ばれて係の人に連行され、洗濯終わって回収するのも呼ばれるまで部屋で待機して係の人に連行される、徹底して他人と接触しないように管理されていました。(空港で同じ場所に8時間居たけど…)
食事は朝昼夜と三食お弁当が支給されます。
あとはアメリカで買い込んだお菓子なんかをもしゃもしゃしながら、ひたすらダラダラして、時間が経過するのを待ちました。

3日後に検査し陰性が確認されてから、15時過ぎにホテルを出て、全員バスで成田空港に戻されます。
16時半頃、成田空港で解散。
公共交通機関は14日目まで使えないので、空港の駐車場に止めていた自分の車で、行きと同じように成田から名古屋に帰りました。
行きは前日に実家に泊まりましたが、帰りは直で名古屋に帰りました。
休憩を何回か挟みつつ、日を跨ぐ少し前に名古屋の自宅に到着。
これにて長かったWORLD参戦アメリカ旅も終了です。

そしてここから、さらに長い、プラス11日間の自宅待機が始まりました。。笑
本来なら、このやることがない暇で仕方ない期間に、この渡航・滞在期を作成する予定だったのですが、動けなさすぎて数日で何もやる気が起きなくなってしまいました。
最初の数日は、掃除でも洗濯でも片付けでも、何かしら家でやれるちょっとしたことをなるべくやろうとしたり、柔術の動画を見て勉強したり、少し原稿を書いたりしてたのですが、数日で本当に何もやる気が起きなくなってしまったので、これは危険だと思いました。
やはり引きこもるのも身体動かさないのも良くない、あと数日続いてたらヤバかったです。(精神崩壊するかも)
帰国が12月16日、3日間ホテル隔離+自宅待機があり、晴れて自由の身となったのが12月31日でした。
道場は年末の休館になってましたが、メンバーさんに声かけて大晦日の朝に何人かの方に集まってもらい、練習復帰に付き合っていただきました。
いろんな意味で、めちゃくちゃ身体が重かったです。笑
WORLDでのライトフェザー級の身体が見る影もないほどリバウンドで太ってしまったので、また練習してシェイプアップしたいと思います!もちろんフェザー級で!

準備から渡航、試合、滞在、帰国後の制限まで、例年の何倍も時間と労力とお金がかかるWORLD参戦(とその前後)でした。
それだけの時間や労力やお金をかけたにもかかわらず、試合はあっという間に負けてしまい、何の結果も残すことが出来ませんでした。
ですが、それだけのものをかけて、自分なりには精一杯頑張って、それでも自分が瞬殺されるようなレベルの戦いの場に立てたことは、自分の中では細やかな誇りです。

Movie & text by 加古拓渡/Takuto Kako

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